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まずは『PARK CITY』から


そろそろ『PARK CITY』(マレビトの会/作・演出=松田正隆)が終わってひと月が立とうとしている。写真はびわ湖ホールでの公演のとき、舞台から客席を見たところだ。わたしは今回ドラマトゥルクとしてこの公演に関わった。その仕事内容を一言で言い表すのは難しいのだけれど、時間の許すかぎり、現場に立会って話し合いに参加し、あるいはテキストを執筆したりもした。
以下は公演当日に配布されたパンフレットに載せられた文章だが、公演が終わって資料をつくるとかでもう一度送りなおす必要があったときに加筆修正をしたもの。大切なのは、ここで語られていことは松田さんのことばではなく、わたし自身の見立てによるものだということ。ひとつの作品をつくるときに演出家以外の者が同じ作品を考え、違う見立てをしたり、しかしそれを含めて協同作業とみなす。パンフに文章を載せたりもする。それがわたしの仕事で、マレビトの会文芸部の一員とでも言うべきだろうか。

「公園」と呼ばれる都市のこと
 『PARK CITY』は広島を題材にした作品ですが、ここでは広島に実在する場所を挙げながらその題材と作品との関わりについて触れ、作品を鑑賞するための参考にしていただければと思います。
 「広島」と言えば原爆が投下された街、そして焼け野原から復興した「平和都市」のイメージ、場所としては原爆ドームをはじめとする平和記念公園の一帯を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
 地図でご覧になると分かるのですが、平和記念公園をよく見ていると二等辺三角形が浮かんできます。原爆ドームを頂点に、平和大通りと平行になるように作られた平和資料館を底辺にする三角形です。戦後まもなく原爆ドームやその周辺を平和記念公園として整備するときにコンペティションが開かれ、建築家の丹下健三の案が採用されました。二等辺三角形はそこで提案されたものです。原爆投下でも崩壊しなかった原爆ドームを公園の一部として取り込んで、二等辺三角形を成すようにした建築物の配置。それは全体としての美しさはもちろんのこと、平和を祈願するにも十分な役割を果たす場所となり、平和記念公園の象徴性を確かなものにしました。一般に「広島」が「平和都市」として印象づいているのも、この象徴性によるところは大きいはずです。
 しかし「広島」と言えば「平和」、「平和」と言えば「広島」という図式のなかで、戦争という人間の暴力、都市の破壊と再生、それらが繰り返される歴史などを考えるときに、もちろんそれが誤っているということではないのですが、その図式での思考ではこぼれ落ちてしまうものがあるのではないか。笹岡啓子さんの写真シリーズ「PARK CITY」には同じ平和記念公園なのにいわゆる観光向けの写真とは違う姿を現す広島があり、そこに「こぼれ落ちたもの」が写し出されているように思われました。舞台作品『PARK CITY』の創作は笹岡さんの写真との出会いから始まりましたが、広島を別の視点から考えるために、まずはこの街を「平和都市」ではなく「PARK CITY」と呼ぶことにしたのです。
 一方、都市には建築だけではなく、そこに生きる住人がいます。先の「二等辺三角形」の頂点である原爆ドームから北の方へ進むと、いくつもの高層アパートがあります。いわゆる「基町高層アパート群」です。
 基町地域は原爆投下で焼け野原になりましたが、その後ここに多くの人がバラック小屋を建てて生活をするようになりました。公営住宅もありましたがその外側一帯が通称「原爆スラム」と呼ばれる住宅の密集地域でした。しかし広島市はこの地域を整備する計画によって不法占拠の状態にあった住宅を排除し、用意した住宅に住民を移動させます。規模が大きかったことや反対運動もあり、住宅の建設、住民の移動、公園の整備など今のカタチになるのに戦後30年余りの時間がかかりました。「原爆スラム」があったところが広大な公園となり、その面影は残っていません。
 「PARK CITY」には人々が集まるためにつくられた公園がある一方で、人々を立ち退かせてつくった公園もあります。公園ではかつて多くの人々が亡くなってそこは不在の場所となり、生き残った人々もそこに住むことを許されず立ち退かされてやはり不在の場所となる。例えば原爆スラムから移動した基町の人々は、公園となってしまったかつて住んだ土地を目の前にしながら、そのすぐ隣にあるアパート群で生活を営んでいくことになります。生活のなかに確かにある、けれども誰もいない場所。そこでは死者の記憶と生きる者の思いが交錯するばかりです。そうした「PARK」で成り立つ都市をこの作品では考えています。
 この「PARK CITY」はさまざまな角度から眺められます。その一つは「川からの広島」、広島を内側から水平に見る視線です。広島は地形としては川の街でもあり市内には六本の川が流れています。わたしたちは取材のために広島の街を歩いて回りましたが、元安川の遊覧船に乗ったとき、街の中で見るのとは違う「川から見える広島」に刺激を受けました。観光写真をはじめ広島のイメージの多くは、街の中で同じ地面の上に立って見た時の視線によってつくられており、それゆえ広島の街を語るときも地面の上から地面のモノを見るイメージになります。しかしこの川からの視線は地面の上から見られることに慣れてしまったこの街をその内側から見るまなざしであり、そこにはいつもとはまた違った街の風景が現れるのです。
 また、「空からの広島」「広島からの空」、広島を垂直に見る視線もあります。原爆は空から落下しました。当時の広島市民はそれが空からのものであることもすぐには分からなかったでしょう。何ごとかも分からないままに人々は命を失い街は破壊されたのです。広島に限らず戦渦にある市民はいつも空に不安を抱きます。空への恐怖。逆に爆弾を投下する者は空から街を見下ろします。このように垂直方向に行き来する視線にもわたしたちは注目しています。「PARK CITY」はこのように多角的に見られる街なのです。
 上に挙げたものが舞台作品『PARK CITY』のすべてではありませんが、作品をご覧いただく際の参考になればと思います。ただ、わたしたちは「PARK CITY」を広島だけの特殊な現象とは考えていませんし、この作品を単純な広島のドキュメントにするつもりもありません。確かに始まりは広島ですし、つねにこの作品は「広島」と関わり続けますが、長い歴史における人間の営みにかかわるものとして見たときに『PARK CITY』は地域や時代に特定されない射程を持つし、そうありたいと思っています。

ドラマトゥルク 田辺剛

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