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『王様』創作ノート


シェークスピアにそれほど関心はなかったのだけど、ここ何年かのうちに『ハムレット』が引き合いに出される舞台を観たことは、今回の作品のきっかけになったことは確かなことだ。
マレビトの会の『声紋都市』(2008年)は、 松田さんがご自身のお父さんのことを作品にしようとして「父」や「父なるもの」を扱った作品だ。天皇という父の命によって戦場に行った松田さんのお父さんと、亡霊になった父の命で復讐をしたハムレットが対比される。その作品でわたしはハムレットのことを久しぶりに思い出した。そしてわたしだったら「父」をどう考えるだろうかと思いを巡らした。

わたしも今回『王様』で「父」や「父なるもの」について取り扱おうとしている。その出発点も(とりあえずの)到達点も松田さんとはずいぶんと違うのだけれど、『ハムレット』に見る「父なるもの」のありようとその象徴性は、俳優やスタッフ、そして観客と「父」について考えるのに良いきっかけになると思った。そうしたこともあって今回のテキストには『ハムレット』からの引用がある。もっとも、引用に気がつかなくても観劇に差し障りはまったく無いのだけれど。

ただし『王様』に現れる亡霊らしきモノは、ハムレットの亡霊と同じ役を担わない。むしろ対照的なものになった。

王子1「最近ある国では王であり父でもある亡霊がその息子の前に姿を現したそうだ。亡霊は息子に向かって雄弁に語り自らの復讐を息子に命じたとか。あなたもそうなのか、なにかわたしに語るべきことがあるのではないか。まずは名乗れ。亡霊なら亡霊と。それともわたしが幻を見ているというのか、何者かの影を都合良く解釈しただけなのか」

『ハムレット』を知っている人には、それとの対比をしながらご覧いただくのも観劇の仕方の一つだと思う。もちろん、この作品は「ハムレット論」ではないし、作品を立ち上げるきっかけの一つに過ぎない。きっかけと言えば、tabula=rasaという若いカンパニーが『ハムレット』や『ハムレットマシーン』に取り組んだ作品を今年と去年に観て、そのことで『王様』の構想は具体的になった。《つづく》

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