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演劇をする高校生に思ったこと


 写真は今日から始まるトランポリンショップ『Tea for Two』のリハーサル風景。本当に喫茶スペースだったところを使っての喫茶店を舞台にしたお話で、ただすでにすべての回で予約がいっぱいになってしまって、キャンセル待ちの状態になってます。3週間足らずの13ステージです。
 そんな本番を前にした一昨日に、京都府の高校演劇の審査に呼んでいただいて一日中観劇していた。
 ありがたいことに、最近はだいたい毎年この時期にどこかしらに呼んでいただいて、いつもとは違う種類の演劇を観る。なにが違うのかと言えば、それは一時間という時間制限であり、高校生に限定された出演者であり、次の大会にどの高校を送り出すかを決めなくてはいけないことだ。
 わたしは高校生の時には演劇をしていなかったが、吹奏楽団にしばらくいて(途中で退部しちゃったけれど)夏のコンクールに出たこともあるので、なんとなくそういう「大会」というものに対しての高揚や緊張は想像がつく。頑張ってやっている人にとってはその結果は人生を左右するかのようなものに思われるし、どちらにせよ10代後半という貴重な時期の記憶に欠かせない出来事ではある。
 今年は府大会に呼んでもらって、つまり次は近畿大会が待っているというところだから、地区大会で選ばれてやって来た高校生の高揚と緊張はさらに強いのだろう。わたしともう一人の審査員(林英世さんだった)が舞台上で一時間ほどかけて各高校の作品にコメントをして、その後が結果発表だ。わたしたち審査員はコメントが終わると退場するのだけれど、結果が発表される場を見たくてわたしは客席にそっと座った。すでにわたしは結果を知っていて、それでいて高校生たちの反応を見てみたいというのもちょっとどうかと、嫌らしいなと自己嫌悪もあったけれども、人が喜ぶ姿を見たくなって。
 発表の時間になる。女の子同士が手を握っている。体が緊張で固くなって座っている椅子に沈み込むのが後ろからでも分かる。選ばれた高校は20人を超える大所帯だから歓喜の声がひときわ大きくて泣き出す子もいる。選ばれなかった高校の生徒は一気に力が抜けてつないでいた手もほどかれる。どこの高校も3年生はこれで引退で、次の大会に進出するところはもう少し引退が延びることになる。ふだん演劇をしていてわたしも喜びを感じることはいくらでもあるけれど、この高校演劇の大会で「勝つ」というかそうした種類の喜びというのは無い(戯曲賞を取ったときとも違う)。とても独特な時間だ。
 選ばれた高校は、先にも述べたように部員の数がとても多くて、出演者も20人以上、留学生までいた。舞台装置も大がかりで、そうした人やモノ、台詞でもたらされる情報の量が圧倒的だった。大家族の家が舞台で父の失踪によって家庭が崩壊するという救われないような話だけれど、20人以上の出演者を一斉に動かしたりダンスもあるし演出として劇を重くしない仕掛けがふんだんにあって、その物量の多さを活かしていた。もちろん活かすための稽古もすごいことになっているだろうと想像できてその成果ははっきりと出ていた。ただ、わたし個人はむしろ脚本(物語)の土台の部分で納得いかないところがあって、それは「わたしはそう思わない」ということなのだが、けれども作品についてあれこれ考えるわたしは作品にすでに巻き込まれていて、そういう意味で賛否を引き出す力がある作品であることは間違いない。力の無い作品は賛否を引き出す以前に話題にすらならないのだから。
 審査会ではやはり「物量」が話題になった。多くの高校は部員の数から登場人物の少ない作品になるのでそれらと比べてあの多さはどうだろうということになる。けれどももちろん登場人物が少なくても素晴らしいものはあるはずで、事実他の作品を一番に推す審査員もいたし、単純に多い少ないでは作品の価値は決まらない。選ばれた高校はただ人が多いだけではなかった。脚本の問題はあるが(わたしから見ると)それは彼らのなかで出た結論だし、それとの対話は可能だった。相当の稽古を積んで出来上がった作品には明らかに観た者を素通りさせない力があった。
 審査員がコメントをしてから質疑応答の時間があった。結果もまだ分からない状態で急に質問はあるかと投げかけられてもなかなか難しいだろうと思ったが、審査員からの言いっぱなしで高校生からの質問や反論の機会が無いのはフェアじゃないだろうと思って設けてもらった。けれどもやはり発言は少ない。司会の先生が学校ごとにどうですかと投げかけるが、たいていは「ありません」と返ってくる。二校だけ発言があって、そのうち一つは選ばれた高校だったがその質問はとても鋭かった。さすがに選ばれるだけはあると思った。とことん自分たちの作品について考えてやってきたからこその問いだったのだ。そういう彼らともっとじっくり話す機会があればいいのにと思った。
 大会が終わると場所を移して顧問の先生たちとの打ち上げのような会になる。演劇の「分かりやすい/分かりにくい」の話になって、興味深かったのはこういう大会はともかく、学校の文化祭で上演する劇ではとにかく「分かりにくい」と言われるので脚本選びに苦労するのだそうだ。場面転換をするごとに照明を落としてごそごそモノを運んだりするのは、そればかりが続くとわたしはうんざりするのだけれど、学校のなかでの上演では暗くしないと場面が変わったことが分からないのだと言う。分からないことは無いだろうと、明るいままでも立ち位置をずらして新たな登場人物が出てきて、その話題を追えば場所や時間が変わったことくらい分かるだろうと思うのだけれど、そうではないらしい。ちなみに時間が順送りに経過するのは良いのだけれど前後したりするともうダメだということだ。わたしからするとそれはもう「分かりやすい/分かりにくい」ではなくて、無理な話だ。一般に「分かりにくい」と思うと好奇心が湧くよりも興味を失う人の方が多いけれど(残念なことに)、さすがにその段階(例えば照明をつけたまま場面転換して話をつなぐこと)でダメだとなると、作り手としてはなんとも気持ちは暗くなる。それでも顧問の先生たちは粘り強くやっていらっしゃって、やるほかないと言う方が適切かもしれないが、尊敬する。
 脚本でも演技でも演出でも、なにか外部から学ぶ機会があればいいのではと話をしていたら、その流れでわたしがワークショップをすることになった。楽しみだ。いまの高校生が何を考えているのかぜひ知りたい。
 ちなみにもう一人の審査員だった林英世さんとはずいぶん久しぶりにお会いして、前がいつだったかも覚えていないくらい。直球のことばをストライクゾーンにズバズバ当てていくのが爽快だった。舞台上でコメントをするときも、かしこまってやるよりも、二人でトークするようにしましょうかとそのようにして良かったのではないかと思う。舞台も拝見しないとなと。

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